Junko Kataoka著
1946年、日本の長野県にて誕生。辻調理師専門学校の大阪校にて日本料理を学ぶ。1972年、イタリアに移住。ローマの日本料理店で働いた後、1989年にミラノにて独立した活動を開始し、日本料理店をオープン。現在、〈ポポロ屋〉と〈シロー〉のオーナー兼シェフである。
以前から、シローは、彼の親戚の一人がパリで働いていたことから、〈海外への移住〉の可能性に関心を示していました。このことがきっかけとなり、通っていた学校(辻調理師専門学校大阪校)でこんな提案を受けました。「イタリアは料理が優れている国だよ。イタリアに行って学んでみたくないかい?」
この提案をしたローマのレストランのオーナーは、日本料理店とイタリア料理店を同時に経営していました。ですので、この提案とは、「イタリア料理を勉強しながら、日本食レストランで働きませんか?」ということでした。
辻調理師専門学校の校長からはこう忠告を受けました。それは1972年のことでした。「イタリア人は 〈食〉に関して非常に保守的だから、 和食を定着させるのはとても困難なことだと知っておいたほうがいい。」
当時、日本ではフランス料理は非常に人気でしたが、イタリア料理はまだあまり知られていませんでした。イタリアは、ハイファッションの国としての認識はありましたが、料理に関しては付随的に話されるのみで、わずかに知られるのみでした。おそらくこんなこと言っていたぐらいでしょう。「ピザっておいしいんだって、知ってる?」この程度のものです。
1972年、イタリアに住む日本人がまだわずかだった当時、イタリア人で和食を好む人はさらにわずかで、非常にまれなことでした。
しかし、次のようなことを言う日本人の数が増え始めた頃でもありました。「海外旅行をしてみたい」。ハイクラスのイタリアンファッションに惹かれイタリアを訪問する日本人観光客を見かけるようになりました。
海外旅行がまだ非常に高価なものだった当時、ローマに到着する日本人観光客は非常に裕福な雰囲気を醸し出していました。シローが働いていたローマのレストランでもよく見かけられました。
1977年以来、シローはミラノ支店の責任者としてオーナーにより派遣されていましたが、1989年、ミラノに店を購入し、独立することを決意しました。その店こそEustachi通りの〈ポポロ屋〉です。しかし、経営者としてのみ働いていた開業当時、ポポロ屋は日本の食料販売店としてのみ営業していました。レストランとしての認可を得ることが非常に複雑だったためです。
レストラン経営認可はなかなか下りず、 1989 年 3 月に保健所によって許可が下りるまで何回も申請を繰り返さなければなりませんでした。認可が下りたその年に、とうとうシローはレストランの独立オーナーとなったのです。それまで、シローは何年もの間、お持ち帰りの弁当屋をしなくてはなりませんでした。
実際のところ、その当時のお客様の多くが、今でもポポロ屋の常連のお客様です。当時の様子を知っている方々はシローによって握られたお持ち帰り寿司がとても不可思議な場所(店の冷蔵庫に寄りかかってなど)で食べられていたことを覚えていらっしゃいます。
1980 年代にミラノをよく訪れていた多くの日本人ビジネスマンが懐かしさから店によってくださることが今でもあります。
その当時、日本食レストランはまだ少なく、多くの方々がたくさんの愛情をもって、シローを支えてくださっていました。このことからも、シローは「ぜひとも許可をとらなければ。」と決意を固め、どうやっても許可を取得する覚悟でいました。
イタリアの常連客の方の中でささやかな給料ながら週に1、2回レストランに通ってくださる方々がいらっしゃいました。ある時、シローはそのお客様にこう告げました。「料金をアップしなきゃならないんですよ。」「僕の給料は限られてるから、もし料金がアップしたら、もうここへ食べにくることは出来ないなぁ。」
そして今度は、お客様がシローに尋ねられました。「ところで、いくら料金をアップしたいの?」「〈寿司盛り〉を1000 リラアップしようと思ってるんですよ。」
「わかった。いいんじゃない !」。
このように、当時から料金はお客様のニーズに合わせてこられました。シローの手によって握られる寿司はジャンボサイズで、〈寿司盛り〉一皿でイタリア人の胃袋も満足するような十分なボリュームです。
シローがまだ日本から来て間もない頃、日本の観念で寿司を握っていましたが、あるイタリア人のご婦人からこんなことを言われました。「お兄さん、少しけちくさいわね !」
「少ししかお金がないけど、寿司が好きでお腹いっぱい食べたいの。」
それから、シローはご婦人がいらっしゃる度、大き目の寿司を握るようにすると、ご婦人は満足し、店を後にする時このようにおっしゃってくださるようになりました。「今日は本当によくもてなしてもらったわ!」
それ以来、ジャンボ寿司を握り始めたのです。
また、〈ちらし寿司〉は、寿司飯の中にもネタが入っていないとイタリア人にあまり好まれないことから、シローは寿司飯の中にもネタを入れる工夫を始めました。最初こそイタリア人の間に〈ちらし寿司)はまったく定着していませんでしたが、いまや皆さん「チラシ、チラシ!」といってご注文なさいます。
リクエストに応じて〈懐石料理〉を用意していたことがあったことから、イタリアでは売られていなかった(見かけなかった)〈納豆、薩摩揚げ、こんにゃく、味噌、シュウマイ、春巻き、かまぼこ、明太子〉といった食材を自らの手で作っていました。
当時、〈大根〉一つとってもイタリアでは非常に高く、何度か痛んで捨てるはめになったこともありましたが、フランスに行く度に、購入し、大切に保管していました。
イタリアは米の生産国ですが、リゾットに適した米を生産するのみでした。現在、スーパーでも日本米の一種を見つけることが出来ます。しかし、当時はリゾット用の米で寿司を握っていました。
イタリアの米は粒が互いにくっつかないために、このタイプ米は、日本料理には使用できません。そのため、シローは、日本からの米の種を持ち帰り、イタリア北部の田んぼで収穫しようと試みました。しかし、残念ながら、イタリアでは田植えと栽培が非常に大ざっぱに行われるため、最初の約3年は特別に生産されているにもかかわらず、豚のえさで終わってしまっていました。
小型トラックいっぱいの米の量が、ワインの5リットルと交換されていました。
料理店主としてミラノでやっと事業を開始することができた時、シローは初めてカウンターの上に寿司ネタ用のガラスケースを設置しました。イタリア人カップルがそれを見るために入ってくるとこう叫びました。「きれい!」ネタがすべて美しく整然と並べられていたのです。そして、こう尋ねられました。「で、どうやって食べるんですか?」そこで、シローはこう答えました。「生で食べるんですよ。」そしてこうお客様に尋ねました。「召し上がってみますか?」そこでご主人が思い切ってこうおっしゃいました。「試してみましょう!」
シローが寿司飯をつかみ寿司を握り始めると、奥さんはご主人の腕をつかみ、外へ連れ出しこう叫びながら逃げていきました。「死んじゃうわ!」
しかし、後からご主人だけが、一人で戻って来られ、こうおっしゃいました。「試してみたいんです!」
マグロを食べると、とても気に入ってくれました。
どのみち、シローには分かっていたことです。「極上」を見極める日本人や「この料理は最高だ。」と言葉で表現してくださるイタリア人にはその違いが分かるのです。
そのため、初めて店を訪れるイタリア人のお客様が「おいしい!」とおっしゃると、シローはこのように言い返します。「おいしいはずはありません (気に入るはずがありません) !」。
しかし、彼の店に常日頃から通ってくださるイタリア人のお客様はとても味にうるさく、本当に理解してくださっています。彼ら自信〈寿司通〉と自らを表現するように。そのため、他の料理の注文も心得たものです。
ただ、寿司を握るシローに向かって日本語でちんぷんかんぷんな変わったものをご注文になられる方もいらっしゃいます。「サーモンの焼き鳥ください。」など。
シローは、ユーモアたっぷりに喜んで冗談を言います。なので、お客様も自由奔放に頭にうかぶことを話題にしながら楽しんでいらっしゃいます。
店はとても愉快な集いの場との評判で、楽しいジョークの交換は、カウンターのあちこちで湧き上がります。
シローの店はすぐに打ち解けられる雰囲気であるため、お一人で来店されるお客様も多くいらっしゃます。実際、お一人で昼食を召し上がりにいらっしゃった方同士が結婚されることも珍しくありません。
シローの店の前に住んでいらっしゃる方が外の眺めを楽しんでいると、ある日このようにおっしゃいました。「なぜ、君の店から出てくる客はみんなひっきりになしに話し始めるのかな?」なぜでしょうか。多くのカップルがシローの店の前で立ち止まり、愛を語り合うようです。
とてもにぎやかだけどこの打ち解けた雰囲気が好きでこの店のファンだとおっしゃってくださるお客様がたくさんいらっしゃいます。日本らしい雰囲気を味わっていただけるシンプルな店構えのおかげで、日本人の方には郷愁感に満ちた魅力があり、イタリア人の方には庶民的な人気があります。
シローは、何年か前にもう少し大きな場所に引っ越すためにこの店を閉めようと考えたことがありましたが、イタリア人のお客様にこのように懇願されました。「お願いだから閉めないでくれ!」そこでシローが、「え、どうしてですか。広い所のほうがいいじゃないですか?」と聞くとイタリア人のお客様がたはこう主張されました。「今のままが一番いいんだよ。この家庭的でとっても日本的な雰囲気。」
お客様は常に辛抱強くテーブルが空くのを待つため店の外で並んでらっしゃいます。そんなお客様のためにシローは本当に彼の感謝の気持ちを表現したいと考えています。
シローは、常連客の方々の好みをよく知っています。誰も何も言わないのに、シローは〈わさび〉があまり得意でない方にはさび抜きにし、お皿の隅に少しだけ置きます。イタリア人にとってわさびはとても珍しい薬味です。時々大量のわさびを口に放り込み、まさに椅子から跳ね上がる方がいらっしゃいます。ただ、わさび好きの方は真の美味だと評されます。
イタリアの方の醤油の使い方に驚かされることもあります。まず最初にお皿いっぱいに醤油を注し、まさにたっぷりと醤油に寿司を浸すからです。
横に居合わせた日本の方もそのシーンを見て、ビックリしてこのようにささやきあいます。「お醤油は高価なものなのに!」
そこで、シローはある時からもう少し小さなお皿に醤油を注すようになりました。するとイタリア人のお客様はすぐこう言って嘆き始めました。「この小さな皿は使いづらい。醤油でテーブルが汚れちゃうよ。」
イタリアの方はどうしても寿司飯まで醤油をつけてしまいがちなので、シローはよく注意するのですが、このような返答が帰ってきます。「僕はこれが好きだからこれでいいんだ。」と話を締めくくられます。
一度、味噌汁の中に寿司をつけて召し上がってらっしゃるお客様がいらっしゃいました。「これが好きなんだ。」と頑固におっしゃるので、シローは何も言えなくなり「あ~!!」とだけ口をついて出てしまいました。
「生魚を食べる。」と明言し覚悟を決めてご来店される方がいらっしゃいますが、召し上がるとビックリされます。 このお客様は朝から覚悟を決め、こう言いながら来店されました。「今日こそは生魚を食べてやる。」「皆おいしいと言ってるんだから、僕もおいしいと感じるはずだ。」と思ってらっしゃったようです。 ところが、口に入れたとたん固まってしまいました。
日本に行く前にわざわざシローの店に来店されるイタリア人の方がたがいらっしゃいます。「もうすぐ日本に行くんだ。」シローの店は実際イタリア人に日本の文化を伝える重要な役割を担っています。
シローはミラノの日本レストラン協会の会長でもあります。
イタリア人に本物の和食の素晴らしさを味わってもらうために、ミラノをベースとする和食の料理人同士で協力し合いながら、衛生と質の高さを管理したり、材料を厳しくチェックしたりし、それぞれが持つ技能を駆使して和食をつくるのです。これが協会の基本的な信念です。
シローはイタリア人の口から和食が好きだと聞くととても満足します。彼の希望はイタリア人に日本の食を本当の意味で知ってもらうことだからです。それだけではありません。彼の希望はまた海外に住む日本人に祖国を離れて暮らす不自由さを何らかの形で忘れ、寿司や和食を味わってもらうことでもあります。
シローは、将来的にイタリアと日本の架け橋として最善を尽くしたいと思っています。
ポポロ屋 Via Eustachi, 17 Milano
シロー Via Eustachi, 20 Milano